更新 : 2008/07/21
公開 : 2004/05/04
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東上線で運転されていた大山対策車の思い出を振り返りたいと思います。
8000型の前面に設置されていた上部灯
撮影地 : 東武東上線
撮影者 : 東武電車フォーラム
大山対策車と聞いて「ピン」とくる方は、おそらくあまりいないのではないだろうか。ほとんどの方が、「?」か「名称は聞いた事がある」程度であろう。そういう私自身も「あの電車」が大山対策車だったのかと、知ったのは今から5年程前である。それでは「あの電車」とは、どんな電車だったのか・・・。
大山対策車との出会い
← 8163F他8連の急行電車。赤紫色の上部灯に注目!

P : 特急銀盤 様
上部灯が点灯中の8119F →

P : 特急銀盤 様
時は今から約30年前、まだ通勤型電車の塗装がオレンジとベージュのツートン時代だった1973(昭和48)年までさかのぼる。東上線を見る事を毎日の日課にしていた私は、ある日、近づいてくる8000型がいつもと違う事に気付いた。その違いとは上部灯の色である。8000型の上部灯といえば、自動車のスモールランプの様に、夕暮れ時になると列車の種別を問わずよく点灯していたものだが、それは一般的な白色であったはず。それが、今まさに私の目の前を通過しようとしている8000型のものは、赤紫色!!一瞬、我が目を疑ったが、すぐにそれが見間違えではなかった事が証明される。通り過ぎたその8000型の後部に目をやると、なんと後部の上部灯までもが赤紫色に点灯していたのである。
← 上部灯が点灯した状態の8113F

P : 特急銀盤 様
上部灯が消灯した状態の8503F →

P : 特急銀盤 様
私は、今でもそうだが、灯類が好きで、8000型の上部灯も形状を含め、例外ではなかった。しかも、赤紫色も大好きである。大好きな東上線に、大好きな赤紫色の上部灯を点灯した電車が走ってきたのだから、もう私の興奮は頂点に達していたのである。すぐに、この超特ダネを誰かに報告したかったが、すでに夕方過ぎ、友達はだれも遊んでおらず、代わりに私の興奮冷めやらぬ報告を受けるはめになったのは母であった。母にとっては、どうでもいい様な事をまくしたてられ、きっといい迷惑だったに違いない。今でも、その時の事をからかわれるので、私の興奮はよほどのものであったのだろう。
その後も、毎日の日課の中で、赤紫色の上部灯をうっとりと見ているうちに、私は、一つの法則に気付いた。それは全部ではないが、8両編成でのみ点灯しているという事である。この8両編成で、赤紫色の上部灯を点灯している電車こそが、大山対策車だったのである。
大山対策車とは
ホーム有効長が6両分だった大山駅
 大山駅ホームの有効長が6両分だった頃の8両編成(大山対策車)の停車位置
ホーム有効長が10両分になった大山駅
 踏切道が歩行者用地下道になってホームの有効長が10両分になった現在の大山駅
それでは、そもそも大山対策車とはどの様な電車で、なぜ8両編成の電車のみ赤紫色の上部灯が点灯していたのかを説明しよう。
当時の大山駅は、両端が踏切に挟まれて、ホームの有効長が6両分しかなかった。この頃すでに、大山駅を通過する優等列車の8両編成は比較的多くあったが、各駅停車の8両編成は前述の制約があったからなのか、平日の朝夕に数本ある程度であった。8両編成の各駅停車に投入される列車は、大山駅で上り・下りとも前2両をホームからはみ出る形で停車させたため、前2両分のドアを締め切る装置が取り付けられていた。同装置が装備されていた編成の上部灯は赤紫色に着色され、これらを8両編成に組成した場合、編成前後の上部灯を点灯させる事で、未装備編成と区別していたのである。このように、大山駅で前2両締め切り扱いができた編成を、大山対策車といったのである。
大山対策車の組成と上部灯
← 大山対策車の8000型

P : 特急銀盤 様
扉締切装置を撤去した跡が残っていた8664号車 →

P : 東武電車フォーラム
ここで、大山対策車の詳細と、いくつかの決まり事を述べておこう。
8両編成であることが第一条件であるが、当時の8両編成の組成は、池袋寄りから6+2編成、4+2+2編成、4+4編成の3パターン。このうち、4+4編成はめったに組成される事はなく、また後述する理由から大山対策車の組成も6+2又は4+2+2と決まっていた。このうち、6+2編成で大山対策車を組成した場合は、単純に締め切り装置装備編成どうしを組成すればよかったが、4+2+2編成で大山対策車を組成した場合、間に入る2両固定車は、必ず引き通し線を装備した編成に限られていた。要するに、大山対策車として組成するには、第1車両側・第8車両側に締め切り装置を装備してある編成を連結しなければならなかったのである。ちなみに、当時の6両固定車は、大山対策車として組成できる様、全編成締め切り装置を装備していた。
大山対策車の組成と上部灯の色の関係
次に、上部灯についてであるが、前述の通り8両編成時に赤紫色を点灯させて、大山対策車である事が判断できればよかったので、たとえ締め切り装置装備編成であっても、編成前後の上部灯が、赤紫色に着色されていた訳ではなく、8両に組成した場合、必ず中間に入る6両固定車の8400形、2両固定車の8500形の上部灯は、一般的な白色であった。つまり、締め切り装置関連の機器が装備されている側の上部灯は赤紫色、装備されていない側の上部灯は白色と考えればよいのである。同様に、2両固定の引き通し線装備編成の上部灯も、大山対策車として組成された場合は、必ず中間に入るので白色であった。従って、6両固定車が、単独で運用に入った場合、8400形を先頭とする下り運転時は白色の上部灯を点灯する事ができたが、8100形を先頭とする上り運転時は、上部灯を点灯する事はできなかったのである。そして、大山対策車として8両に組成した場合は、終日、赤紫色の上部灯を編成の前後共点灯させ、運転していたのだが、それは、大山対策車本来の目的である、8両編成の各駅停車運用に入らない場合でも同様であった。
参考までに、当時の8両編成は、ほとんどの編成が赤紫色の上部灯を点灯していたので、大山対策車として組成されていたのであろう。
なお、東上線では、1976(昭和51)年11月から10両編成運転を行っているが、10両編成時でも、大山対策車を示す赤紫色の上部灯を点灯している列車を見た事があるので、これはあくまでも推測であるが、締め切り装置装備編成どうしを連結する事によって、上部灯を点灯させる回路があったのかもしれない。このあたりをご存知の方がいらしたら、是非、御教示願いたい。
← 8両編成対応工事中の大山駅構内

P : 東武電車フォーラム ( A )
現在の6両停止位置辺りに踏切が存在していました →

P : 東武電車フォーラム ( A )
余談ではあるが、上部灯の着色は、レンズをマーカー等により外側から着色していたらしく、経年による色落ちもあり、中には通常の白色とほとんど変わらないものもあった。このため、定期的に塗り替えが行われていた様で、時々、初めて大山対策車を見た時の、あの輝くような赤紫色の上部灯を点灯させた8000型を見たものだった。また、ここまで上部灯の色を赤紫色と表現してきたが、東武電車研究会の会報第5号に掲載されている大山対策車関連記事の中で、東武鉄道東上業務部運転車両課から提供していただいた資料によると、大山対策車の上部灯は紫色となっている。しかし、私が実際に見た感じでは、紫というより濃いピンク色、またはピンク色の方が正しい様なので、あえて赤紫色と表現させて頂いた。さて、ピンク色の上部灯といえば、かの有名なDRC1720系の一部で、ピンク色の上部灯を点灯していたものもあった。もともとDRCの上部灯は青であったが、昭和58年頃からは、なぜかこのピンク色の他に一般的な白色のものも加わり、3色の上部灯が混在していたのである。私は、このピンク色の上部灯を見るたびに、「大山対策車の上部灯は、こんな感じだったな。」と、妙に懐かしくなったものである。
少し話が脱線したが、正式には1973(昭和48)年 1月31日から始まった大山対策車の運用も、1977(昭和52)年には踏切問題も地下化することで解決し、ホームの延伸も可能になった事から、同年の10月20日をもって、約4年10ヶ月続いた大山対策車の運用はなくなったのである。私のお気に入りであった赤紫色の上部灯も、今では数少ない写真でしか見る事ができないが、もっとも8000型の上部灯自体撤去されて久しく、時代の流れを感じる今日この頃である。
text:特急銀盤 様
も ど る